死の哲学 ~DEATH「死とはなにか」を読んで~

書籍

どのような生き方をすべきか?
”誰もがやがて死ぬ”ことが分かっている以上、この問いについては慎重に考えなければないけません。
もし、死が本当に”一巻の終わり”ならば、私たちは目を大きく見開いて、その事実に直面すべきでしょう。 
(引用 イェール大学教授 シェリー・ケーガン)

 皆さんはどのくらい”死”というテーマについて考えたことがありますか?今回は、イェール大学の死の哲学の講義が収録された「死とはなにか」という本についてまとめていきたいと思います。

 冒頭で引用した教授のセリフにもあるように、自分なりの死生観を持つということはたった一度の人生を生きるにあたり、とても重要なことだと思います。

 

死はなぜ悪いのかという議論

 そもそも、死ぬこととは悪いことなのでしょうか?ほとんどの人が死ぬことが悪いと考えますが、どういった点が悪いのかについて深く考察することはあまりないと思います。本書では、そもそも死がなぜ悪いのかについても深く考察します。

 以前読んだ哲学の本で「人は死んだ後に苦痛を感じることはないし、それどころか自分が死んだことを認識することすらない。我々にとって「死」などというものは存在しない(=だから考えるに値しない)」というものがありました。ほかにもホリエモンは「死について考えても何の得にもならないから、私は死なない」といったことを言っていました。

 要するに、死んだあとは私たちは存在しないため、悪さを受けることがないことから死は別に悪くないと短絡的に考えているのです。今回の記事で、死の悪い点や死を考えることによって自分の人生に与えられる影響について考えたことも踏まえ書いていきたいともいます。

別離の悲しみ

死は本人にとっては悪くない、死が悪いのは、後に残された人がつらい思いをするからだ。
(本書引用)

 死の悪さについて考えると真っ先に思い浮かぶことがこのことではないでしょうか?私はこれが死の悪い点だと考えていました。自分にとっては悪いところがないけれども、残された人がとてつもない悲しみを感じることになってしまうというものです。

 確かに、この点は無視できない死の悪い点だと著者も主張しています。しかし、本質的な死の悪さではないと議論が進みます。

悪さの3つの定義

 悪さには次の3つの種類があると言われています。

本質的に悪い

 例えば、「痛み」。痛みはそれ自体が不快であるために本質的に悪いということができます。

間接的に悪い

 例えば、「リストラ」。リストラされること自体は悪さや不快な思いは伴いませんが、そこから間接的に引き起こされる貧困や借金という悪さを引き追ってしまいます。間接的な悪さは最終的に本質的に悪いものを引き起こします。

相対的に悪い

 この相対的に悪いという点が、悪さを議論するうえで抜けがちになります。最初に挙げた、死を軽視する考えはまさにこの点が抜けています。例えば、「休日にテレビを見ていること」。これは本質的に悪いことはなく、それにより間接的な悪さを引き起こすこともありません。しかし、もっと人生にとって良いことができたとすると(勉強をしたり、よい経験をするなど)、それに比べて相対的に悪いという悪さが発生します。

 皆さんも振り返るとよくこの悪さを感じていると思います。例えば勉強をしない日ができてしまうときなど。勉強をしないことは何の直接的・間接的悪さを発生しませんが、勉強したであろう自分と比べると相対的な罪悪感を感じると言ったのもこれに当たります。

 

 ここまで前置きをまとめれば、私が伝えたいことはわかると思います。要するに死は「相対的に悪い」ということができるのです。それは、死ぬことによって人生における良いことの数々が味わえなくなるから悪いということで、これを剝奪説と呼びます

 この剝奪説を認めるとすると、あらゆる死の議論に発展することができます。例えば、自殺は正当化される場合があるのかや死はいつの時点に悪いのかなどですが、ここではまとめないので気になる人は本書を読んでみてください。

 

死が人生に与える影響

 死があることによって人生にどのような影響があるのでしょうか。結局どんなに死が悪いと知っても、それが人生に影響を与えない、もしくは何も手を出すことができないことであるのならば、死について考える意味がなくなってしまいます。ここで、考えておくべき死の問題について2つだけ取り上げます。

人生の残りの時間を知りたいかどうか(タイミングについて)

 皆さんは人生の残り時間を知ることができるとしたら知りたいと思いますか?いろいろな考え方があると思います。この死のタイミング、または死というものが控えていると考えることは今の生き方に影響を与えると私は思います。

 例えば、今壮絶な受験戦争を乗り越えて、医学部に入ったとします。これから大学4年間、さらに大学院に行き、研修医として修業を積んだ後、晴れて医者になって大金を手に入れるというビジョンを描いているとしましょう。しかし、そんな彼に残りの余命が2年しか残っていないと宣告を受けたとします。その時彼は大学生活を始めるのでしょうか?

 この例からわかるように、死のタイミングというのは、人生のプランに大きな影響を与えます。死の予測不能性は人生に悪い影響を与えることは明確だと思います。このことからより良い人生を生きるためには、死というものに向き合わなくてはならないと考えるのは妥当なのだと思います。

 セネカは「人生の短さについて」で、「人は年齢によって今まで生きてきた時間を数えることはできるが、残りの時間をはかることができない。故に、人は時間を浪費する」ということを言っています。自分の人生の残り時間を考えて初めて、実りある人生を生きようと考えるようになるのかもしれませんね。

人生の「形」の影響

 2つの人生のパターンを比べてみます。一つはアメリカンドリームのような人生です。最初は境遇が良くない環境で育つが、努力・才能・運などで人生が良い方向に向かっていく人生です。これをケースaとします。

 もう一つは生まれた時の環境が良かったのに、徐々に転落していく人生です。人生の良さがなくなり最後尽きた時に亡くなります。これをケースbとします。

 グラフにすると、

右がケースa、左がケースbです。

 どちらの人生がいいか考えると、大半の人がケースaを選択すると思います。

人生の浮き沈みというものは重要で、「悪いものから良いものへ」という物語が、私たちが自分の人生に望む物語であり、「良いものから悪いものへ」という物語は、自分の人生には望まない物語なのだ。(本書引用)

 

これらは極端な例ですが、人生の頂点がある場合も考察しなければなりません。グラフにすると次のようになります。

 人生の頂点をどこに置くかという問題には、先ほど考えた、死の予測不能性が絡んできます。頂点を迎える前に死んでしまうとなると、その点までに頂点を迎える方が良かったことになります。

 

本項の考察

 こういった死についての議論から考えることは人それぞれだと思いますが、自分なりの考察をまとめておくと、人生は上り調子の方がいいのだから、現在の自分よりも成長するしかないということと、死の不確定性によって頂点が分からない以上、現在に焦点を当てて生きるしかないのではないかと思います。

 

不死について

 今まで、死は不可避のものであるという前提で話を続けてきましたが、本書では不死についての議論もされています。ユヴァル・ノア・ハラリの「ホモデウス」にもあるように、我々はテクノロジーの力と知識力によって人は不死を達成することができるのではといわれていて、不死というのも考えるに値するトピックだと私は考えています。では、死が悪いものとすると、不死は良いものと結論付けてよいのでしょうか。

 この本では、不死は必ずしも良いものにならないと結論付けられています。剝奪説を受け入れたとしても、死は常に悪いということにはならないようです。自分の好きなことが永遠にできたとしても、それはいずれ悪いものに変わると考えられるからです。例えば、チョコレートをいくら好きだと言っても、永遠にチョコレートを食べていたいとは思わないと思います。

 ラットの快楽の実験も例に挙げられます。実験用ラットはスイッチを押すことで頭につないだ電極から快楽物質が流れるという状況になったとき、そのボタンを押し続け、いずれあらゆるものに対する興味を失うことが分かっています。

 結局本書では、最善なのは、自分が望むだけ生きることだという結論に至っています。どれだけテクノロジーが発達しても、不死になりたいと思う人はいなくなるのではないでしょうか。しかし100年ではまだ満足できないという人はたくさんいると思うので、自分が十分望むだけ生きることができる世界が到来することが一番いいのだと思います。

 

本の紹介

 この本はイエール大学の人気講義を題材にした本です。しかし前半の形而上学的な部分は邦訳の本書では省略されているようで、人によってはこの点が良くないとする人もいると思います。逆に、そのおかげで理解しやすい本になっているともいうことができます。

 翻訳者も、ベストセラーである「サピエンス全史」の翻訳などを手掛けた柴田裕之さんで、とても読みやすい訳であったように感じます。

 議論の進め方も具体的な事象を取り上げながら理解を深めていくあたりがとても理解の助けになりました。

 本書の最後にある著者からのメッセージを引用します。

もしみなさんが本書の終わりに来た時に、あれやこれやの点で私に同意していなくても、かまいはしない。・・・みなさんが最終的に同意するかどうかよりも大切なことがある。それは、この機会にみなさんが自分の信念を批判的に検証できたかどうか、つまり、何が真実であることを自分が望んだり、願ったり、当然と思ったりしているかだけではなく、何が実際に擁護できるかも自問することができるかどうかだ。(本書引用)

 哲学者らしい締め方だなと感じました。この本を読むことによって、死について深く考える機会になるのはもちろん、1つのことに対して考えるためのステップの踏み方もこの本によって学べたような気がします。

 この記事には載せなかった面白い議論もたくさん収録されているので、興味がある方はぜひ読んでみてください。

 

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