自己犠牲を可能にする貴重な価値 「利己的な遺伝子」

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 一般に、自己犠牲は尊いものとされると考えられます。各人にとって否定しがたい欲求(生存欲、物欲等)を、自身においては断念し、その断念によって他者の欲求を遂げさせる行為は簡単にはできないはずです。そんな中、自分を犠牲にしてまで守りたい価値というものは存在するのでしょうか。今回この問いについて、「利己的な遺伝子」を参考にして考えていきたいと思います。

 

利己的・利他的な動物

 地球上の生き物の中には、利己的に振舞う動物がたくさんいます。例えば、カマキリのメスが子供を産むときオスを食べる話は有名ですね。他にも、ペンギンは海に飛び込むとき、最初に飛び込むことはアザラシに食べられる可能性が一番高いので、他のペンギンが飛び込むのを待ったり、突き落とす習性があるそうです。

 人間も例外ではなく、誰もが人生のどこかで(もしくは今も)、自己中心的な考え方に陥ることがあると思います。産まれた時は自分が中心の世界だと考え、大人になるにつれて社会性を身につけ、他人のことを考えられるようになっていくのが一般的です。

 しかし、利他的に振舞う生物もいます。例えば、ハチは自分の命と引き換えに巣を守ろうとします。そして、鳥(地上営巣性)の親は家族が天敵に狙われた時、羽を折り曲げて自分が負傷しているように見せかけて子供を逃がそうとする「偽傷」という行為をします。

 これらの行動の原因を考えることで、自己犠牲を可能にするほどの貴重な価値が見えてきます。

 

自己利益の基本単位

 リチャードドーキンスの著書、「利己的な遺伝子」から適者生存という考え方を引用します。それは、「自己利益の基本単位は、種でも集団でも個人でもなく遺伝子である」というものです。この考え方は世界の見方を一変させる考え方で、科学革命と呼ばれるほどのものだといわれています。

 簡単に説明します。動物(我々人間も含む)の個体は主観的に自分を一つの単位だと考えています。しかし、動物の個体は遺伝子を運ぶビークルに過ぎず、遺伝子が世界で長く生きることができるように、私たちは生きているという考え方です。

個体は安定したものではない。儚い存在だ。染色体もまた、配られて間もないトランプの手のように、まもなく混ぜられて忘れされられる。しかし、カード自体は混ぜられても生き残る。このカードが遺伝子だ。遺伝子は交叉によっても破壊されない。ただ、パートナーを変えて進むだけだ。もちろん彼らは進み続ける。それが彼らの務めだ。彼らは自己複製子であり、私たちは彼らの生存機械なのである。(利己的な遺伝子から引用)

 とてもドライな理論なので、様々な反論があると思います。このような遺伝学に基づく進化論でも批判する人は一定数いるのは承知していますが、ここからの議論はこの考え方で進めていきます。

 

自己犠牲を可能にする価値

 動物の利他的行動の中で、最も顕著にみられるのが、親とくに母親の子に対する行動です。皆さんの中でも、自己犠牲を可能にする価値を考えた時、子供や身内のことを考えた人は多いと思います。

 これは、先ほどの話から、親と子供どちらかが犠牲にならなけらばいけない状況では、親は自分が生き残るよりも子供が生き残ることが自分の遺伝子を後世に伝える可能性があるためというように考えることができます。

 これらのことから、自己犠牲を可能にする価値として、自分の子供や孫のため、もしくはそれらを守ることにつながることは自己犠牲以上の価値があると考えることができるのではないでしょうか。

 

本の紹介

 500ページを超える分厚い本ですが、この中には、人の物の見方を一変させるものがたくさん詰まっています。ここで紹介した適者生存の考え方はほんの一部で、生物学だけでなく、様々なものに応用できる広い視点を手に入れることができると思います。

 人は人のままこの世に誕生したという世界観を持つ人には、受け入れがたいものだと思います。信仰は自由なので無理に、この理論を納得させようとはしません。しかし、生物の世界をドライなデジタル情報の世界と捉える考え方を持たずして、これからの科学技術(ゲノムや脳科学、ロボット、AIな)や社会・経済について、深く考えることはできないと思います

 ここでは紹介できなかった面白い考え方がたくさんあるので、いつかそれについての記事も書くかもしれません。そのくらいページだけでなく内容も厚い本なのでよかったら読んでみてください。

 

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