自分で人生を決める ~決定論的呪縛を打破する~

雑記

 よく「私の家系は勉強ができなくて」や「生まれが田舎だから」といった、厳しい言い方をしてしまうと「言い訳」に聞こえてしまうようなことを口にしてしまったり、考えてしまうことがあると思います。誰もが何らかの制約を抱えています。自分よりも恵まれた環境にいる人が周りにはたくさんいるように感じる時もあるでしょう

 しかし、人は主体的に生きることができます。すなわち、どんな状況下でも、自分の行動を選択する力を持っています。今回、この人間の主体性、言い換えれば自分の人生の脚本を自分で書くことができるということについて考えていきたいと思います。

「7つの習慣」という本の第一の習慣を参考にしています。

決定論的な考え方

 世界では、決定論的な考え方が広く根付いていて、よく言い訳の種にされてしまうことがあります。決定論とは、何らかの刺激に決まった反応を返すというモデルで、自覚を持たない動物(人間以外の動物)は決定論的に生きています。例えば、動物はおなかがすいている時に食べ物を見つけるという刺激を受けたら、確保して食べるという反応を示すのが普通です。もしも寒いと感じたならば、熱を生み出すという反応をするのではなく、温かい場所に避難するという反応を示すと思います(例外的に熱を発生させる反応ができる特殊な動物もいるかもしれませんが)。

人間の社会で、こうした決定論は大きく3つに分けることができます。

遺伝子的決定論

 「うちの家系は短気な人が多いんだ」とか「集中力がないDNAを持っているんだ」といった遺伝子的に反応が決まっているという理論です。

心理的決定論

 育ちや子供時代の体験が、あなたの性格や人格を作っているという理論です。

環境的決定論

 上司のせい、あるいは配偶者、子供のせい、国の経済情勢のせいといった環境が今のあなたを作っているという理論です。

 

 これらはすべて刺激/反応理論に基づき、特定の刺激に対して特定の反応を返すと条件付けされているという考え方です。しかし、人間はこういった刺激の前に決まった反応しか取れない生き物なのでしょうか?

 実は心理学者や哲学者の中でも決定論者と呼ばれる人はいます。例えば心理学者のフランクルは「幼児期の体験が人格と性格を形成し、その後の人生をほぼ決定づける」という学説を立てています。

 

刺激と反応の間

 しかし、先ほどのフランクルは精神科医であり、ユダヤ人であったため、第二次世界大戦時に強制収容所に送られ苦しい体験をすることになります。そこでフランクルは、人間だけが授かった自覚という能力を働かせ、次の原則を発見しました。それは、刺激と反応の間には選択の自由がある、というものです。

 その自由な選択するための能力として、人間を人間たらしめる4つの能力があるようです。

  • 自覚・・・自分自身を客観的に見つめることができる
  • 想像・・・現実を超えた状況を頭の中に生み出すことができる
  • 良心・・・心の奥底で善悪を区別し、自分の行動がそれに沿うかが判断できる
  • 意志・・・他の影響に縛られず、自覚に基づいて行動できる

 これらの能力を使うことで、人間は自分の行動を新たにプログラムすることができます。そのため、動物にできることが限界があり、人間の可能性は無限だと考えることができます。

 

自分の人生の責任を引き受ける

 この考え方が意味することは何でしょうか。それは、今の行動は自分が選択した結果であるという責任を持たなくてはならないと同時に、自分の道を選択することができるということを意味するのではないでしょうか。

 自分自身を客観的に見つめ、頭を使い、自分の価値観を持ち、強い意志を持って行動することで、決定論的な呪縛を破り、人は自分の人生を決めることができると私は思っています。

 もちろん、厳しい刺激が加えられることもあるでしょう。そんな時でも、これらのことを踏まえ、最良の反応を返せるようにすることが大切なのだと思います。

 

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